会社員をしながら世界チャンピオンになった男。
木村悠さんにインタビュー【中編】

商社マンとプロボクサーという二足のわらじを見事に両立した、第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオン・木村 悠さん。絶対不利という周囲の予想を覆し、大逆転で勝ち取った世界チャンピオンは、なぜ商社マンとプロボクサーというダブルキャリアを歩むことになったのか。また、引退後に描く未来のビジョンについてもインタビューしました。
【前編】では、「初黒星が就活に繋がった理由」などについて伺いましたが、【中編】では「仕事がボクシングに与えた影響」についてお話しいただきました。

仕事に関わる知識を一から吸収

- 就職した会社ではどのような仕事を行っていたのですか?

電力や通信に関わる工事で使う材料を取り扱う会社で、技術営業を行っていました。取引先の会社を訪問する法人営業職で、打ち合わせでの直接のやりとりだけではなく、電話やメールでのコミュニケーション術も求められる仕事です。専門知識も必要とする職種だったので、今まで見たことのないCADや鉄材の特徴についても勉強しました。

- 話を聞いていると新鮮なことばかりで楽しそうですが、実際はどうでしたか?

確かに新しい分野のことをたくさん学ぶことができますが、当時は楽しいというよりもとにかく必死でした。どうやって仕事を覚えれば良いのか、どのようにして仕事の効率を上げるのかということに、ひたすら頭を使いましたよ(笑)。自分は会社員として仕事をするだけでなく、プロボクサーとしても成長していく必要があったので、仕事の時間だけでなく練習の時間も確保しなければなりません。焦りの中でも、なんとかうまく仕事を終わらせる方法がないかということを、いつも考えていました。

ボクシングが仕事に与えた影響

- 木村さんがプロボクサーだと知った会社の人たちに、特別扱いされるようなことはなかったのですか?

特別扱いは特にありませんでした。仕事上での責任をしっかりと果たしていれば、何か言われるということもありませんでした。上司から注意を受けたわけではないですが、仕事は仕事でしっかりやるという必要性は自分で感じていました。

- ボクシングをしていることが仕事上の武器になったなんてエピソードもあるんでしょうか?

ボクシングをやっているということに興味を持ってくれるお客さんもいたので、コミュニケーションの材料として使うことができました。また、ボクサーという経験を活かして、他の営業マンとは違う手法でお客さんを増やすこともできたんです。会社が営業経費として自分の出る試合のチケットを何枚か購入してくれて、「お客さんにチケットを配ってもいいよ」と言われることもあったので、お客さんが試合を観に来てくれる機会もありました。会社員になって、つながりという面で言えば、今まで1だったものが100になったというくらい広がりましたよ。

社会人になるということに対しての気持ち

- 社会の常識を知っているのと知らないのとでは全然違いますよね。

社会の仕組みもそうですし、人間関係からビジネス的なコミュニケーション方法まで、社会に出なければ分からなかったことがたくさんありましたね。会社に入らなければ知ることができなかった常識を、しっかりと身につけることができました。

- あえて辛い道を選んでも、世界チャンピオンを目指し続ける意志があったのですか?

プロになって負けて社会人になったわけですが、正直その時に世界チャンピオンに向けての道筋が立っていたわけではないんです。目標すら見えてない状況でした。ボクサーとしてステップアップしていく中で、日本チャンピオンになることができ、目標のレベルがどんどん上がっていったんです。そういった環境の中で、だんだんと自分も世界に挑戦できるんじゃないかという手ごたえを感じるようになりました。

ボクシングをしていたからこそ仕事効率化につながった

- 営業職だと残業もあったんじゃないですか?

季節や市場に影響されて、繁忙期はもちろん残業が必要な日もありました。でも基本的には、残業をしなくてもいいように意識してスケジュールを立てていましたね。18時からは練習をすると決めていたので、仕事は17時半までに終了させなければなりません。ですから、とにかく効率を上げることを意識して、練習に間に合わせるようにしていました。残業しようと思えばいくらでもできますが、自分には練習時間を確保するという明確なゴールがあったので、スケジュール管理も比較的しやすかったんだと思います。

- バイトの時よりも練習時間が減ったのではないでしょうか?

もちろん、バイトをしていた頃より練習時間は減りました。9時~17時半まで仕事をして、18時から練習開始。練習が終わったらケアをして・・・という繰り返しの日々ですが、必ず21時には家に帰ろうという目標を立てていました。自分の中で新しいリズムと習慣を作って、うまく時間のやり繰りをするようにしたんです。練習の質を落とさないようにするためと、体調を崩して仕事を休むことのないように疲れを取るためにも、自分で決めた時間はきっちりと守っていました。

社会人になったことがボクシングにいい影響を与えた

- 社会に出たことでボクシングに活きたことはありますか?

一番活かされたなと思うのは、ビジネスコミュニケーションから得た考え方ですね。営業として円滑に業務を進めたり、仕事を獲得したりするためには、相手の立場に立って物事を考える必要があると思うんです。それはボクシングでも同じことで、自分がどう仕掛けるかによって相手にどう影響を与えられるのかという分析力がつきました。

- 減量の時にも役立ったことはありましたか?

仕事では、何日までにこれを仕上げないといけないから、工場への発注はいつまでにするのかなど中期・長期の納期に合わせて、逆算してスケジュールを立てる必要があります。 減量は仕事と同じで、何日までに何キロ減量しないといけないという明確な目標があります。綿密にプロセスを組むことで仕事も円滑に進みますよね。それは減量についても同じで、感覚だけでなく、しっかりと堅実にプロセスを考えて体重を落としていくことができました。

(2017年5月1日)

プロフィール

木村 悠

1983年11月23日生まれ。千葉県千葉市出身。
第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオン。
2016年4月に現役を引退し、現在は株式会社FiNCにてヘルスケアソリューション兼アスリートサポート室長としてアスリートの活動支援を行っている。

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