それぞれのセカンドキャリア
「元Jリーガー 長谷川太郎さんにインタビュー!」 【前編】

ヴァンフォーレ甲府に在籍時にはJ2で日本人得点王になるなど、プロサッカー選手として活躍されてきた長谷川太郎さんが、引退後にどの様なセカンドキャリアを選択し、歩んでいるのかをインタビューさせていただきました。
インタビューは、パソナスポーツメイト担当としてアスリート支援を行う菊池康平が行いました。
働きながらプレーすること!カズさんからのメッセージに救われた

▲右から、長谷川太郎さん、菊池康平
菊池:
今日は太郎さんのセカンドキャリアのお話を伺いたいので、柏レイソルやヴァンフォーレ甲府などで活躍されてきた話は省きますね。
長谷川:
それは大丈夫ですよ。どこから話せば良いかな?
菊池:
北九州(現ギラヴァンツ北九州)を31歳の時(2010年)に契約満了で退団されてますね。そこから先のサッカーだけではなく、働きながらプレーしていた時の話を聞かせてほしいです。

長谷川:
北九州(現ギラヴァンツ北九州)を退団して浦安SCへ行きました。 JFLの経験はありましたが、働きながらプレーするのはこの時が初めてでした。 浦安SCは当時千葉県一部リーグでした。
菊池:
サッカーだけで生活されていた環境から、働きながらサッカーをする環境には戸惑ったのではないですか。どんな毎日でしたか?
長谷川:
午前中に練習をして午後に小学生などへ指導を行う毎日でした。
菊池:
浦安の子供達にですか?
長谷川:
浦安JSCの子供達に教えていました。 2011年から3年間に渡り、この様な生活をしていました。
菊池:
葛藤はありましたよね?今まではサッカーのプレーだけに専念されていたのが、指導の仕事も入り、二足の草鞋を履くことになりましたもんね。
長谷川:
実は北九州(現ギラヴァンツ北九州)を解雇されて2010年にタイにテストを受けに行ってたんですよ。その時に浦安の監督が熱心に誘ってくださりました。 正直その時は「またJリーグに戻りたい!」と思っていたので、タイでプレーしたいとは思ってなかったんです。
浦安に入ってからは「タイとか海外でやってたら良かったかな〜」という気持ちも生まれてしまっていました。気持ちの整理がつかず、もやもやしていた時期でした。 練習に行く車の中でナオト・インティライミさんの歌をかけてモチベーションを上げていましたね。

菊池:
環境の変化もそうですし、試合に来られるお客さんもJリーグに比べると遥かに少ないですもんね?
長谷川:
それもあるし、サッカーのモチベーションというよりかは、この選択で良かったかなという迷いがありました。サッカーを終えた時にこれで良かったと思えるのかなって。
スクールが終わってカズさん(三浦知良)にメールしたら、「サッカーはどこでやっていてもサッカーだから」というメールを頂いて、「そうだよな!ここから上がればいいや!」と気持ちが高ぶりました。元々は「県の一部から上がっていったらカッコイイし、やってやろう!」と思っていました。どうなるか人生わからないし。ただ実際入ってみると良かったのかなと迷える日々が始まってしまって。最初は新鮮だったんですけどね。
菊池:
精神的に厳しかった時お気持ちを正直に話していただきありがとうございます。具体的に当時の一週間のスケジュールを教えてください。
長谷川:
練習は火曜、水曜、木曜、金曜で日曜が試合でした。スクールは火曜、木曜、金曜、土曜日でした。 練習もスクールもない本当のオフは月曜でしたね。
菊池:
その生活を続けて気持ちはどう変化しましたか?
長谷川:
この時はこの選択が良かったかは分からなかったけれど、今言えるのは浦安の時代があったから今の自分がいます。引退試合もやっていただき本当に感謝しています。

浦安で清水康也とか秋葉勇志とかとの良い出会いもありました。浦安でプレー出来て良かったなと思っています。

▲左から、長谷川太郎さん、秋葉勇志さん、清水康也さん
(2016年12月20日)
プロフィール
長谷川 太郎
1979年8月17日生まれ。
ポジション:FW
【サッカー歴】
1998年 柏レイソル
2002年 アルビレックス新潟
2003年 ヴァンフォーレ甲府
2007年 徳島ヴォルティス
2008年 横浜FC
2009年 ニューウェーブ北九州/ギラヴァンツ北九州
2011年 浦安SC
2014年 mohammedanSC(インド)
2014年 現役引退
ライタープロフィール
菊池 康平
1982年7月27日生まれ。
海外でプロサッカー選手になる夢を達成するべく、大学時代より複数の国の海外チームに飛び込みで挑戦。2008年にパソナを1年休職して渡ったボリビアでプロ契約を果たした。現在は16ヶ国でサッカーに挑戦した経験を夢先生などの活動を通して子どもたちに伝えている。また、パソナスポーツメイト事業の担当として、アスリートへの就労支援にも従事。