「Neymar Jr's Five」日本代表としてブラジルへ!
パラレルキャリアを体現する菊池康平の挑戦【前編】

パソナスポーツメイト担当としてアスリート支援を行いながら、自身もサッカープレーヤーとして世界でチャレンジを続けている菊池康平さん。
2017年7月7日(金)、8日(土)にブラジル・サンパウロ郊外で開催されたアマチュアサッカー向けの世界大会「ネイマール・ジュニア・ファイブ(Neymar Jr's Five)」には53カ国の代表が集まり、彼がキャプテンを務めるチーム「KING GEAR FC」は世界ベスト16の成績を残しました。そこで、世界大会を目指した経緯や、仕事とスポーツの両立について、インタビューしました。

働きながら世界一を目指すためには「調整」が重要

- まず初めに、今回菊池さんが挑戦された「ネイマール・ジュニア・ファイブ」は、どのようなルールなのですか?

ネイマールが考案した特別ルールで、ゴールキーパーなしの5対5で戦い、自分のチームがゴールを決めるごとに相手チームから選手が1人抜けます。試合時間は10分、または1チームから選手がいなくなっても試合終了。世界大会はPK戦が無いので、同点のときは1対1で勝負して、ゴールを決めた方が勝ちというシンプルなルールです。

- とてもユニークですね!菊池さんがキャプテンを務める「KING GEAR FC」は、どのような経緯で結成したのですか?

チーム自体は、「KING GEAR」というスポーツメディアの全面バックアップにより2017年1月に立ち上がりました。元プロサッカー選手の友人達に加入してもらい、2月に5人制サッカーの大会に出場したのですが、そこでは準優勝に終わり世界大会には進めませんでした。次に挑戦することになった「ネイマール・ジュニア・ファイブ」は25歳以下の選手を中心とする大会だったので、メンバー編成を変えることになったんです。

そこで、周りの若くて世界で戦いたいという野心のある選手に声をかけ、年齢不問のオーバーエイジ枠として、私と宇留野純さん(元ヴァンフォーレ甲府など)が加わりました。4月の東京予選と6月の全国大会で優勝し、ブラジルで開催される世界大会へ行けることになりました。

- 「ネイマール・ジュニア・ファイブ」のために集まったメンバーなんですね。練習はいつしていたのですか?

それぞれ学校や仕事があるため時間が合わず、全員が頑張って練習時間を捻出していましたね。全国大会の前は「日本代表になれたら人生が変わるかもしれないし、無理してでも来てほしい!」と伝え、もちろん本業があるので全員は無理ですが、週に1~2回、夜の21~23時に練習していました。しっかりチームで練習していたからこそ、全国大会で優勝できたと思います。

- それぞれのメンバーはサッカーに時間が取られることについて、仕事の調整や上司や一緒に働く方への伝え方はどうされていましたか?

その点は若いメンバーからも相談がありました。例えば、サッカーショップで働いている選手には、自分が日本代表になることでシューズ選びのアドバイスなど更に説得力がでることや、フットサル場のコーチには生徒に与えるポジティブな影響などを職場に伝えるようアドバイスしました。

- 練習場所の確保も大変そうですね…。

時間や練習場所などは、選手と相談の上、全て私がセッティングしていました。何より大変だったのが、世界大会を想定できるレベルの練習相手を探すことでした。貴重な練習時間を最大限有効に使うためにも、この点にはこだわりました。

練習相手をしてくださった皆様には今でも感謝しかありません。

同時に、KING GEAR FCがブラジルで世界一を目指す様子も私がレポートしていたので、充実していましたがその時は結構大変でしたね(笑)。

このメンバーで世界へ挑戦することに意味があった

- メンバーには、ワイン会社の経営者や企業にお勤めの方もいるんですよね。

KING GEAR FCのメンバーは、その他にもフットサル場のスタッフや薬科大の学生(世界大会は学業優先で不参加)など、みんな様々な肩書を持っています。現在はプロサッカー選手以外の道を歩んでいますが、プロを引退したけれどもう少し頑張りたかったとか、学校卒業後プロになれず働いているなど、まだ”何か”やり残している人を仲間に選びました。

- モチベーションを揃えたのですね。

例えば、長年に渡り身体を酷使して戦ってきた元日本代表選手や“サッカーをやりきった”人との間には、モチベーションに開きが出ると思いました。プロになりたい、プロでやり残したことがあるといった、野心のあるメンバーに来てもらいました。

(2017年8月7日)

プロフィール

菊池 康平

1982年7月27日生まれ。
海外でプロサッカー選手になる夢を達成するべく、大学時代より複数の国の海外チームに飛び込みで挑戦。2008年にパソナを1年休職して渡ったボリビアでプロ契約を果たした。現在は16ヶ国でサッカーに挑戦した経験を夢先生などの活動を通して子どもたちに伝えている。また、パソナスポーツメイト事業の担当として、アスリートへの就労支援にも従事。

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